六郎は赤紙がきてはしゃいでいたが、父やスズ子に大きな声で怒られてしまい、心が苦しかった。彼は大きな声が嫌いで、その感覚が今の時代にも当てはまると思った。また、戦争の冷酷さを本能的に察知するカナリアのようにも思える。加えて、今の時代は誰かが誰かを無意識に傷つける傾向があるが、六郎もそのカナリアの一人だと感じた。人々は立場や立場の違いから傷つけ合ってしまう。彼の物語から現代のカナリアと言える存在を感じた。